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身辺雑記。
郵活とか読書記録とか、日々の雑事を備忘録的に。
 
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    閏日記念にとりとめもなく
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      4年に1度の2月29日。
      とはいえ、特にありがたみもなく過ぎていったが。
      出張費使い切り&有給消化合戦に入った我が職場で久しぶりに同僚に会えたことくらいが特筆に値す……、いやいや、しないしない。
      とにかく、いつも通りの一日。いつも通り、動く歩道を逆方向に歩いているがごとく捗らない仕事。歩いて歩いて結構な距離を進んでたつもりなのに、元の位置からさほど動いていないぞっと。久々に会う同僚とも建設的な話ができてたはずだけど。


      せっかくなので前回の記事に関連して二・二六事件に関してもう少し書こうかと。

      1936年2月26日未明
      25日夜半から降り始めた大雪のなか、総数およそ1500名の陸軍皇道派の青年将校たちが、“君側の奸”を除き“昭和維新”の成就を目指して蹶起。首相官邸などを襲撃。永田町一帯を占拠。

      主な襲撃先
      岡田啓介総理大臣官邸
       栗原安秀中尉らが指揮する約300名 岡田の義弟である松尾伝蔵を岡田と誤認。
       松尾即死。岡田は後日、弔問客に紛れて脱出。
      斎藤実内大臣私邸
       坂井直中尉らが指揮する約150名 斎藤即死
      高橋是清大蔵大臣私邸
       中橋基明中尉らが指揮する約100名 高橋即死
      鈴木貫太郎侍従長官邸
       安藤輝三大尉が指揮する約150名 鈴木重傷
      渡辺錠太郎教育総監私邸
       安田優少尉らが指揮する約30名 渡辺即死
      牧野伸顕前内大臣別荘
       河野寿大尉が指揮する6(8)名 別荘放火焼失、牧野は無事
      他に、警視庁、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞社をはじめとする新聞社などを襲撃

      午前9時30分
      川島義之陸軍大臣、天皇に拝謁。青年将校らの「蹶起趣意書」を読み上げ、状況を説明。天皇は速やかなる鎮定を指示。

      午後2時過ぎ
      軍事参事官会議。ここで出てきたのが『ねじの回転』でも問題となっていた「陸軍大臣告示」。第2項「諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム」の「真意」が「行動」に差し替えられた、というアレ。

      27日午前3時50分
      勅令18号「緊急勅令」で戒厳令(戦時または事変に際して立法権、行政権、司法権の行使を一時的に軍部にゆだねる)公布。これより叛乱軍将校の死刑直後の7月18日まで帝都は戒厳令下におかれた。叛乱部隊に対して説得、勧告がこころみられる。

      28日午前5時8分
      「奉勅命令」下達。つまり、反乱軍は原隊復帰せよという天皇の命令が下る。 戒厳司令部の叛乱軍への説得は続く。叛乱軍も帰順か抵抗かで揺れるが、決戦の覚悟をきめ、閑院宮邸、陸軍省、参謀本部などに兵を展開する。軍当局も討伐に踏み切り、一触即発状態に。

      29日午前8時
      攻撃開始命令下る。有名な「下士官兵ニ告グ」のビラが捲かれ、8時55分には戒厳司令部内の放送室から帰順を呼びかける放送がなされた。「勅命下ル軍旗ニ手向フナ」のアドバルーンも掲げられた。戦闘意識を失った叛乱軍は次々に帰順。
      午後1時頃
      安藤輝三、自決を図るが失敗。
      午後2時
      下士官と兵は全員原隊に帰り、将校は陸相官邸に集合した。野中四郎大尉自決。残る将校は午後6時、陸軍刑務所に収容された。

      というのが事件のだいたいの顛末。

      二・二六事件は、昭和維新=国家改造を標榜したクーデターだが、結局のところは陸軍内部の政治的抗争であり、結果、陸軍統制派が「粛軍」と称して皇道派を追放。岡田内閣総辞職を受けて成立した広田弘毅内閣(当初は近衛文麿に組閣大命が下るも健康上の理由を建前に近衛はこれを拒否)に、悪名高い軍部大臣現役武官制の復活を迫る。これによって軍部が政策決定に大きな影響力を持つようになり、以後、政治外交は軍部のほしいままとなってしまう。


      1936年も閏年だったんだ。



      参考
      高橋正衛『二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動』増補改版 
      中央公論社(中公新書76)1994年




      あ、本当にとりとめもないけど、田中芳樹の『銀河英雄伝説』に出てくるフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトは2月29日が誕生日(帝国暦458年生まれ)という設定らしい。お堅い帝国軍にビッテンフェルトのようなキャラを配するあたり田中芳樹氏のバランス感覚に感服する。田中氏いわくビッテンフェルトは「生き残ってしまった」人物らしいが。生きててくれて本当に良かったと思う私はビッテンフェルトが好き(「一番」ではないけど)。


         
      | 本・読書 | 00:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      歴史は繰り返すか?
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        2月26日なので、二・二六事件について考えてみる。
        といっても、恩田陸の『ねじの回転』についてのとりとめのない感想。

        時間遡行の技術が確立した近未来。「よりよい現在」にするために過去の歴史に改変を加えた人類だったが、これが思わぬ災厄を引き起こしてしまう。人類滅亡という危機を回避するために、改変された歴史を「正しい歴史」に戻すべく、国連はいくつかのポイントに介入し、修復を試みる。
        そのプロジェクトのメンバーである国連の確定担当者ジョン、日本の記録確定省職員マツモト、コンピューター技師のアルベルトらは、1936年2月26日早朝に遡る。二・二六事件に関わった3人の軍人――安藤輝三陸軍歩兵大尉、栗原安秀陸軍歩兵中尉、石原莞爾陸軍大佐の協力を得て、もう一度、歴史をなぞっていく。コンピューター「シンデレラの靴」に認証されている史実通りに過去を「再生」できれば「確定」。史実と異なってしまえば「不一致」となり、「確定」するまで何度でも「再生」しなおさなければならない。一刻も早く歴史を「確定」し、「正しい歴史」に戻すべく奮闘する国連のメンバーだったが、様々な妨害や各人の思惑に翻弄される。はたして歴史をやり直すことは可能なのか。そもそも「正しい歴史」など存在するのか――。

        作中の核となる事件、二・二六事件は、国連のスタッフであるジョンが語るように多くの日本人にとって何らかの思い入れがある事件かもしれない。ジョンは次のように語る。

        「君ら日本人は、この事件にいろいろ思い入れがあるらしいな」
        「本当に、君らは悲劇趣味だな。平家しかり、忠臣蔵しかり」
        「確かに、これは日本的な事件だな。責任の範囲と所在の曖昧さ、コミュニケーションよりも隠蔽を『和』と呼んで尊ぶ欺瞞。非常に日本人らしい」
        「青年将校たちは、陛下の正しい判断を側近が邪魔しているのでそれを取り除きたいと望んでいる。彼らの上官は、部下の気持ちが義憤だと知っているので無下にできない。陛下は国民の困窮など全く知らないから、青年将校の気持ちなど全く有難くない。陛下の周りの人々は、陛下が胸を痛めるのを恐れて国民の実情を教えない。また、彼らは青年将校たちが陛下を慕っているのもよく知っているから、陛下が彼らを怒っていることも言えない。見よ、この『思いやり』のオンパレード。極めて日本人的だ」(上巻pp.50-51)

        二・二六事件を作品の題材に取り上げているからには、恩田氏もこの事件に「いろいろ思い入れがある」日本人の一人だろう。だけど、その思い入れの深さを外側から冷めた目で(冷めた目を装って)こんな風に切ってみせる。二・二六事件が日本の近代における重要な転換点であったのは疑い得ない。でもその本質といえば、所詮はジョンが決めつけたように「単に、肥大化し、指揮系統が脆弱になった大組織が、危機管理のお粗末さから単純な事件を混乱させただけ」(上巻p.50)にすぎないのかもしれない。処断のタイミングと方法を間違ってしまったために、その後の歴史を左右するような大事件になってしまったのかも。

        作中の、真崎甚三郎ら当時の指導的立場にあった者たちが事件の処置をめぐって会見する場面では、理想に燃える蹶起将校たちに対して、浮足立つ上層部の頼りなさが際立つ。維新を遂げさせるのか、鎮圧するのか、どちらにつけば今後の自分に有利だろうと、責任転嫁や自己保身でいっぱいいっぱい。ま、これは現代の指導者たちにおいても「よくあること」なので、妙にリアル(そうか。日本の指導者たちは本質的には何も変わっていないのか)。

        刑の執行に際して「栗原死すとも維新は死なず」と叫んだという栗原安秀。「板垣死すとも自由は死なず」の板垣退助は一命を取りとめたけど、栗原は銃殺刑だもんなぁ。クーデターという非常手段で国を動かそうとするやり方はともかく、彼らの方が上層部よりもよっぽど日本の行く末を案じていたような印象。死刑となった将校らの多くが「天皇陛下万歳」と唱えて死んでいったという。「青年将校たちの一途な気持ちを思うと、なんとも気の毒で」(p.50)と言ったマツモトのように、真摯に国を憂い、主君に忠義を尽くそうとして死んでいった若い青年将校たちに同情的にもなるというものか。

        何にせよ本作で問われているのは、二・二六事件の本質ではなく、歴史にifはあるのか。歴史はいかに作られるのか。
        作中でアルベルトは語る。

        「人間が得た最大のギフトは知能じゃない、好奇心だ。好奇心、それ自体が目的となって、人間は冒険を続ける。好奇心が、理性も倫理も道徳も飲み込み、人間をそれまで見たこともない地平へと押しやる。その対象が宇宙であれ、生命であれ、歴史であれ」(上巻p.150)。

        人間が好奇心という最強の武器を携えて新しい地平を求めてきた過程が「歴史」として蓄積されている。人間の想像力に科学が追いついたら最後、それ以上の発展は望めない、というようなことを藤子不二雄のSFで言っていたっけ。

        「想像してみてくれ」と投げかけられた最後の場面は、作中に繰り返される「歴史は自己を修復する」という言葉や、結局は「歴史というものが、常に選ばされた唯一の選択肢であった」(上巻p.230)という石原莞爾の独白を思い起こさせ、何とも言えない無力感。

        誰かがしたり顔で呟く声が聞こえてきそう。
        「しょせん魔法など、人間には何の福音にもならないのだ」(下巻p.129)と。


        <読んだ本>
        恩田陸『ねじの回転  FEBRUARY MOMENT 』(上)(下)
        集英社(集英社文庫)2005年12月  ※単行本2002年12月刊行

        ※参考
        高橋正衛『二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動』増補改版 
        中央公論社(中公新書76)1994年





        家にあった二・二六事件に関連する本。
        んー、私も「いろいろ思い入れがある」ようだ。
        宮部みゆき『蒲生邸事件』は残念ながら捨ててしまったらしい。
        今度は未読の武田泰淳『貴族の階段』を買おうっと。

        ・・・さて。

        『ねじの回転』の背表紙にご注目。
        なんと、上下巻で文字の入れ方や字体が違う!!
        違う古本屋で別々に手に入れたら、こんな失敗を・・・。
        ちなみに、上:2006年6月6日 第4刷、下:2006年1月28日 第2刷。

        2刷と4刷……マジかー?!集英社っっ!!!

            
        | 本・読書 | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        01 現代にも通じる?! 『快傑ゾロ』
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          先日、グラミー賞の授賞式が行われた。例年なら特に興味も持たないところだが、今年はひそかに注目していた作品がある。それは、Best Spoken Word Album (Includes Poetry, Audio Books & Story Telling)部門にノミネートされたBlackstone Audio Inc.のThe Mark Of Zorro(Val Kilmer & Cast)である。残念ながら受賞は逃してしまったが、The Mark Of Zorroという物語がオーディオドラマ化され、グラミー賞にノミネートされたということは注目に値する、と勝手に思う。

          舞台は18世紀末、スペイン統治下のカリフォルニア。弱きを助け強きをくじく、軍の圧政に一人立ち向かう覆面の英雄“ゾロ”。不当に虐げられた人々のために自らの剣によって正義を体現する彼の正体は誰も知らない。 総督の怒りを買い、没落に追い込まれたプリド家の一人娘ロリタには2人の求婚者がいた。音楽と詩を愛する穏やかな青年だが、暴力沙汰を嫌い、男らしい勇気や行動力に欠ける大農園の御曹司ディエゴ。若くして砦の指揮官を務める、総督の覚えがめでたい青年将校レイモン。ロリタの両親は娘がこのどちらかと結婚してくれればプリド家を再興できると考えるが、ロリタが愛したのは2人のうちのどちらでもなく、反逆者として軍に追われるゾロだった。


          J・マッカレー/井上一夫(訳)『快傑ゾロ』東京創元社(創元推理文庫)1969年12月

          アメリカの作家ジョンストン・マッカレー(McCulley, Johnston 1883-1958)によって書かれたThe Mark Of Zorroは、20数か国語に翻訳され、およそ5千万部を売り上げたという世界的なベストセラー小説である。さらに発表当初から現在に至るまで、映画やテレビシリーズ、アニメーション、舞台、漫画、ゲームなど様々なメディアに展開している。この物語が世界各国でどのような発展をみせたかについては、Zorro Productions, Inc.(以下ZPI)に詳しい。日本では1921年にダグラス・フェアバンクス主演の映画「奇傑ゾロ」が公開され、戦後、東京創元社の『世界大ロマン全集』(全65巻 1956-59年)で紹介されたのを皮切りに「快傑ゾロ」の訳で親しまれ、ジュブナイル版やアニメーション等も発表されている。近年では、この物語を元にしたアントニオ・バンデラス主演の映画「マスク・オブ・ゾロ」(1998年)および続編の「レジェンド・オブ・ゾロ」(2005年)が日本でも公開されている。さらにZPIによると、現在2つの映画会社が新たなゾロの映画を企画しているとか。


          ジョンストン・マッカレー/広瀬順弘(訳)『快傑ゾロ』角川書店(角川文庫)1975年6月

          マッカレーによって最初のゾロの物語が発表されたのが1919年。およそ100年を経ようとしている今なお、未だにこれだけの企画が立ち上がり、世代や国を超えて多くの人を魅了し続けているのは何故か。このことについて、ZPIは、ゾロというキャラクターが数多く存在するヒーローのなかでも非常に多面的であるという点を挙げている。智勇兼ね備えた魅力的な“ゾロ”というキャラクター。アクションあり、ロマンスあり、ユーモアありのストーリー。自由を標榜し、悪政を敷く権力者に敢然と立ち向かうというのは、シンプルかつ、いつの時代にも普遍のテーマである。だからこそ、それぞれの国や時代の潮流に応じて再解釈され、人々の共感を呼び続けたのだろう。

          私がゾロに出会ったのは、1996-97年にかけてNHKの衛生アニメ劇場にて放映された『快傑ゾロ』と題されたアニメーションだった。最近、このアニメを全話通して見る機会を得て、当時、夢中になって原作を探して読んだことなど思い出して、ゾロ熱が再燃したという次第。インターネットで少し検索するだけで、アニメ版の「快傑ゾロ」について、原作について、当時はほとんど情報のなかった原作者のジョンストン・マッカレーについて、などなどいろんな情報が得られ、なかにはすごく興味の惹かれる事柄もあり(マッカレーと雑誌『新青年』とか、マッカレーの小説を江戸川乱歩が翻案しているとか)、自分なりにもうちょっと突っ込んで「ゾロ」やマッカレーのことを調べてみたくなった。そんなわけで、興味の向くまま軽い気持ちで調べて書き綴ってみようと考えている。

          いつまでこの熱が続くか分からないけれど。


          参考(次回以降ちゃんと載せるけど、とりあえず)
          ・Zorro Productions, Inc.(http://www.zorro.com/)
          ・Wikipedia 該当ページほか



              
          | 『快傑ゾロ』とその周辺 | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          南瓜たち
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            これまで出会った草間彌生の彫刻≪南瓜≫を集めてみた。
            こうして並べて見ると、同じ南瓜でもやっぱり少しずつ違うのがわかる。


            ●国立国際美術館


            所蔵品?
            それとも草間展の出品作品なのか。


            ●福岡市美術館


            外に展示している。
            国立国際で見たものより下膨れ。
            そして少し色あせているような気も。


            ●直島(香川県)




            時間の変化によって違う表情を見せる。


            意外に海と調和。


            もうひとつの直島の南瓜。こちらはなんと中に入ることができる。


            中に入るとこんな感じ。


            芝生の緑とのコントラストがまた良し。
            たしか、草間の一連の南瓜彫刻のうち世界最大だとか。


            ●十和田市現代美術館


            直島の赤い南瓜と同様、中に入ることができる。


            犬と南瓜。




            十和田現美には、南瓜以外にも草間の彫刻があって楽しい。


            あとは、写真は撮れなかったけど、ソウルの現代美術館にも室内に展示してあったなぁ。
            それから北九州市立美術館には、木の箱(棚?)に収まった小さな南瓜30個くらい並べたような作品も。


            ●六本木アートナイト(2012.03.25追記)


            国立新美術館前に設置された光る南瓜。



            ●おまけ


            草間彌生ストラップ。
            実際に携帯につけると存在感ありすぎなので部屋に飾っている。


                
            | アート・展覧会 | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            幻惑の水玉模様
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              先週、大阪の国立国際美術館で開催中の展覧会「草間彌生 永遠の永遠の永遠」に行ってきた。



              草間大好き。
              親しみと畏敬の念をこめて「彌生ちゃん」と呼ばせてもらうほど(ってどれほどだ)好き。


              エントランス前の彫刻。


              水玉エントランス!


              水玉や網目の入ったロゴがかわいい。

              今回は写真撮影OKの作品(空間)が3つあった。
              まずは水玉の空間が広がる導入部分。左上部には彌生様のありがたい御真影が掲げられている。 一歩足を踏み入れるやいなや彌生ちゃんワールド。


              でも天井が現実感丸出しなので、上を見てはいけない。残念ポイント。

              次は「愛はとこしえ」シリーズ(2004-07年)の部屋。 赤と白のインパクトある導入から、うってかわってモノクロの空間。 白いキャンバスに黒いマーカーペンで描かれたたくさんの人の顔や瞳。

              続いて「わが永遠の魂」の作品群。2009年から取り組み始め、現在では140点を越えるという草間の最新シリーズ。 大きなキャンバスを埋め尽くす、具象とも抽象ともつかないモチーフ。ポップな色遣いも相まって見ていて楽しくなる。

              それにしても、
               ≪青春は死と生を共にたずさえて、あなたの背後から音もなくしのびよってくる≫
               ≪自分の死のあとも宇宙は何ごともなく進んでいる≫
               ≪すべてが永遠に回帰する≫
              など、彼女の作品のタイトルは詩的なものが多い。


              そして≪チューリップに愛をこめて、永遠に祈る≫。





              くらくらする。
              チューリップの水玉模様がついには空間全体を浸食し、支配し始めたような。
              草間は常にこんな風景を見ているのだろうか。

              そして、お馴染みの南瓜。


              こういう彫刻は展示室よりも野外にあるほうが似合うかも。

              今展の出品作は、ほぼ半数が2010-11年に制作された新作。 昔のような緻密さはないなぁ。インフィニティ・ドッツとか、あの辺が特に好きなので、少し物足りない。
              彼女の作品を象徴する“水玉”というモチーフは、幼い頃からの幻視体験からきているという。 水玉が彼女のなかで無限に増殖していき、やがては視界を覆い尽くす。さらには徐々に日常を浸食してついには精神を蝕んでいく。そんな凄絶な体験を芸術に昇華させる草間彌生の旺盛な制作欲は、そのまま彼女の生命力につながるのかもしれない。
              草間は「自分が死んでも作品は永遠」と言っているらしいが、長生きしてもっと多くの作品を残してほしい。

              まだまだ彌生ちゃんの新作が見たいよ!!


              関連展示1


              リーガロイヤルホテルに展示された≪明日咲く花≫
              ロビー中央に堂々と展示すればいいのに、端っこに追いやられていて残念。


              関連展示2


              朝日新聞本社ビルの水玉装飾≪水玉強迫≫
              え?これだけ?なんか残念(ま、私の写真も残念だが)。



                 
              | アート・展覧会 | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              紅はこべ
              0
                バロネス・オルツィの『紅はこべ』読了。
                先日の記事に出てきた、田中敦子展のチラシをカバーにした文庫本。
                出張の際、神保町の古書店で買ったもの。
                私が小学生の頃だったか、NHKのラジオドラマでやっていたなぁ。
                重々しく「紅はこべ」ってタイトルコールする女性の低い声(今思えば宝塚の女優さんとかだったかも)はいまだに覚えている。懐かしい。

                時代はフランス革命直後。
                共和政府に捕らわれた貴族をイギリスに亡命させる謎の秘密結社「紅はこべ」の物語。

                作者が女性って知らなかった。
                でも、読んでみるとたしかに女性の物語だなぁと。

                アメリカの作家、ジョンストン・マッカレーは『紅はこべ』からインスピレーションを受けて、
                かの有名な覆面の義賊「快傑ゾロ」を生み出したという。
                勇猛果敢で機略に富む貴族が、その正体を隠して不正と戦うという筋は似ている。
                マッカレーとゾロに関しては、いずれ調査、記録(そんな大袈裟じゃなく、だけど)しておきたいと思っていたり。そもそも『紅はこべ』読んでみようと思ったのもゾロの元ネタだからだし。



                <読んだ本>
                バロネス・オルツィ/西村孝次(訳) 『紅はこべ』 東京創元社(創元推理文庫) 
                1999年11月12日 31版(初版は1970年5月22日)

                31版ってすごい。長きにわたって読み継がれている名作ってことだ。



                    
                | 本・読書 | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                現代アートな夜
                0
                  久々の東京出張。2日目の夜、時間が空いたので東京都現代美術館に行ってきた。

                  2月4日から開催される「靉嘔 ふたたび虹のかなたに」と「田中敦子 アート・オブ・コネクティング」という2つの企画展のオープニングレセプションに、「行ってきた」というか連れて行ってもらった。さらにコレクション展では、「MOTコレクション 特集展示|福島秀子 クロニクル 1964 OFF MUSEUM」も開催という充実ぶり。

                  18時からのオープニングにはたくさんの人が集まっていた。作家の靉嘔さんも来ていて、挨拶をされていたけど、人混みで全然見えず。調子にのって白ワインをいただく。


                  ◆靉嘔 ふたたび虹のかなたに



                  さまざまなモチーフを虹色に塗り分ける「虹の作家」として知られる靉嘔(あいおう 1931- )の初期から新作までを展観する回顧展。たしか「靉嘔」という名前は、どこかで「あいうえお」で好きな字を挙げてほしいというアンケートを取り、上位の字の組み合わせで付けたものだと聞いたことがある。靉嘔は、椅子やテーブルなど身の周りのものや、浮世絵やルソーなど古今東西の名画などなど、あらゆるものを虹色に変換してしまう。会場は、当然ながら、虹色のものばかり。いろんな色が氾濫して眩暈がするようだった。いい意味でも悪い意味でも。


                  ◆田中敦子 アート・オブ・コネクティング



                  田中敦子(1932-2005)は、前衛の美術団体「具体」のメンバーとして、グループの最盛期に活躍した。「具体」は、1954年に兵庫県芦屋市で結成。前衛画家・吉原治良の「他人のやらないことをやれ」という指導のもと、従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術作品を生み出していった。天井から吊った紐を使って足で描いたり、ラジコンにペン付けて走らせたり、絵具入りのガラス瓶をキャンバスに投げつけたり、結構やりたい放題な描き方で独自路線を走ったグループと言えそう。

                  田中敦子は「電気服」という無数の着色電球をつけた衣装で踊るパフォーマンスで知られているが、「電気服」のような、電球や配線を思わせるカラフルな円や線がつながり合い、絡み合う抽象絵画でも高い評価を得ている。電気を視覚化しようとしたかのような彼女の作品は、大胆に描かれた円とそれをつなぐ繊細な線といい、見るからに賑やかな色彩といい、結構好き。……好きなはずだが、色とりどり系のレインボー靉嘔と一緒に見たからか、はたまた20個のベルが展示室内を順に鳴り響いていて(←そういう作品)視覚と聴覚を同時にやられたからか、かなり疲れた。高松市美術館所蔵の≪電気服≫が出品されていたのは収穫。


                  ◆「MOTコレクション 特集展示|福島秀子 クロニクル 1964 OFF MUSEUM」

                  これは時間がなくて見ることができなかった。が、大変見応えがあった様子。なんでもこれまで公立美術館で紹介されることが少なかった福島秀子(1927-97)の作品を、未発表のものも含めてまとめった点数を見ることができたという。

                  ごめんなさい。福島秀子がわからない・・・。はじめ、福田英子かと思ったくらい。1951年に発足した「実験工房」のメンバーだったというが、ごめんなさい。「実験工房」もよくわからない。「実験工房」は、都現美のサイトの説明によると「美術と音楽を中心として、ジャンルを横断した総合的な空間(環境)の創造を目指す」グループだったそう。さらにWikipediaを参照すると、美術評論家の瀧口修造のもとに集った前衛的な総合芸術グループで、初期にはバレエを上演したり、メンバーに作曲家の武満徹もいたりしたというから、ずいぶん特異なグループであったことがわかる。多数のジャンルが交錯する分、美術館で(美術史的に)評価するのが難しいんだろうな。福島秀子は絵画を中心に発表しつつ、「実験工房」では新しいメディアを使った映像作品や舞台衣装、装置等を手掛けていたという。へぇ。


                  会期はいずれも5月6日(日)まで



                  *おまけ*

                  田中敦子展のチラシが可愛かったので、すぐさま文庫本のカバーに。満足!







                  *もうひとつおまけ*

                  そういえばホテルが池袋で、地下道から出た瞬間、光文社ビルが見えた。1日目、仕事が早く片付いたので、前々から興味があった「ミステリー文学資料館」(光文社ビルにある)に行ってみたら、16時半閉館・入館は16時まで、とのことで入館できなかった。愕然として時計を見ると16時6分だった。絶対にどこかで調整できたはずだ、6分くらい……。



                      
                  | アート・展覧会 | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |